こんにちは!タクヤ(@takudaipare)です。
今日は、前回こんなテーマ『オーストラリアにワーホリに行く若者よ、世界を相手に勝負する覚悟はある?』について書きましたが、
「じゃ、お前はどうやって戦ったんだ?」と僕自身が思ったので、
今日は僕が2年のワーホリ期間で、どんなことを考えて、実践してこの2年間を過ごしたのかを話したいと思います。
もちろん、どうやって英語を習得したのか、仕事の見つけ方、仕事への姿勢、外国人との関係性、この辺りのことを知りたいと思うので、初めに答えだけ話しますと、
- 日本人とはしっかり距離を取って英会話に特化した暮らし
- オーストラリアのカレンダーを把握し、お店はどの時期に人が入れ替わるのかをリサーチ
- 日本人、もしくはアジア人としての誇りを持ち、逆境をポジティブに捉えること
- 外国人と目線を同じにし、舐められないように胸を張ること
たったこれだけで、僕は良くある「単なる休暇でしょ」って言われてしまうワーホリのリアルを覆すことができました。
胸を張ってそう言ってくる人たちに対して、実績と経験をこの2年間で積んで帰ってくることができました。
それでは、その中身について話していきたいと思います。
これを読んだ現ワーホリ中の人達には特に何か得てもらえればなと思います。
日本語しか話せなかった僕がワーホリを使ってオーストラリアで世界の人たちと戦ってきた方法
日本語:英語の比率を2:8にすること
まず、僕はオーストラリアに行くまで英語はほとんど話せませんでした。
仕事柄本当に少しだけ外国人と英語を話す機会はあったレベルで、大したことなかったです。
ただ、1つ周りの人たちと違ったのは、『根拠の無い自信』を持っていました。
想像してください。
日本で外国人と話すのは、自分がHOME(日本)にいる分気持ちに少し余裕があったわけです。
だって、最悪、「ここ日本だから、君が日本語話しなさい」って言えちゃう環境だったからです。
(その考えは、決して良いとは言えなかったですが…)
そしていざオーストラリアはゴールドコーストに降り立ち、語学学校に通い出すと、それまで持っていた自信はいとも簡単に崩れ去りました。
「まったくの甘ちゃんだった、マジでみんななんて言ってるのか分からない」
「やばい、テキトーに相打ち打ってる自分がいる…言いたいことも言えない」
現ワーホリ中の人はこの気持ち分かると思いますが、テキトーにやり過ごすことが多くなればなるほど、自分に自信がなくなっていきますよね。
僕もそうでした、一時英語を話したくないなと思ってしまうほどでした。
これをどう乗り切ったか、克服したか
答えは簡単です。
くだらないプライドを捨てました。日本から持ってきた自尊心を捨てて、僕は裸になりました。
分からなきゃ分かるまで聞く、相手の使う単語をコピーして使う。
「会話を止めて申し訳ないけど、君が何言ってるのか全て理解したいから、たくさん質問しちゃうと思う」と相手に伝えることをひたすら実践しました。
それも2年間毎日。
日本を発つ時に作ったルールとして、
「日本人とかたまって日本語を使って安心を得ないこと」
がありました。具体的には、シェアハウスは日本人がいない場所を探し、そこで外国人と常に英会話をすること。
日本語をほとんど使わない環境をひたすら2年間求めました。
もちろんさすがに学校の友達など最低限友達はいましたし、比率としては日本語2:英語8の割合を保つように心がけました。
ローカルジョブはハードルが高いは半分本当、半分嘘
職場も同様に、日本人が働きづらいローカルジョブ(外国人経営のお店)をメインに探すこと、これに特化して自分で印刷した履歴書(レジュメ)を持ってひたすら歩いて、中心街だけではなく、もっとローカルな場所も攻めていきました。
そのほうがより”日本人”のいない環境を見つけることができると思ったからです。
ただ、最初に言ったように英語は幼稚園レベル、ただ根拠の無い自信とプライドを捨てて裸になっただけです。
ひたすら配りました。ひたすら。
配っては連絡を待つ日々を送っていましたが、一向に連絡は来ません。
日本から持って来たお金も厳しくなってきて、メンタルも中々辛かったです。
「みんなで外食したいけど、できない。お酒のみたいけど、節約しないと…。」
理想と現実
そんな日々が続き、いよいよメンタルもお金もきつくなったので、仕方なく友達の紹介で某有名日本回転寿司屋で働くことにしました。
そこは本当に”日本”でした。
働くスタッフもほぼ日本人、数人の韓国人だけ、店長も日本人。
朝から晩まで働いても貰える賃金は時給$14、違法賃金でとりあえず耐えなければなりませんでした。
1ヶ月頑張ってみたが、やはり、そこは自分の求める環境とは程遠く、ストレスばかり感じ、結局辞めました。
得た賃金をうまくやりくりしながら、目的だったローカルジョブを再度探し始め、
ある日、朝起きてたまたま求人サイトを見た時に、近くのレストランで人を探してることを発見し、
すぐに応募、そして10分後に電話が鳴り、
「○曜日の○時にきてくれ」
思わずガッツポーズをしました。本当に今でも思い出します、その時の感動を。
いざ行くと、「トライアルをする」と言われました。簡単に言うと、”適性検査”です。
その店で使えるかどうかを短時間で見極めてもらって、使えそうな人なら合格、仕事できない人だったら不合格。
僕は何も不安はありませんでした。日本でも飲食の経験はあったし、泥臭い仕事は嫌いではなく、日本人の真骨頂を見せてやる!!と意気込んでひたすら頑張りました。
結果は「合格」、書類を渡され、はれて念願のローカルジョブをゲットしました。
初めてのローカルレストランの職場には、オーストラリア、ブラジル、スウェーデン、イングランド、中国、ドイツ、スイス、イタリア人が働いていて、僕にはそこが天国に思えるくらい、ベストな環境でした。
ただ、残念だったのは、シフトがあまりもらえず、最低なときは週に8時間という状況だったのですが、僕にとってそんなことはどうでも良く、とにかく今は”英語!”と決めてお金を犠牲にしました。
ワーホリの中では通説である、「ローカルジョブはゲットできない、しづらい」はある意味本当のことで、また嘘でもあります。
英語力は確かに少しは必要ですが、それよりも堅い決意と前向きな姿勢がないから、ゲットできない、これだけだと思います。
ワーホリで大切なのは、理想と現実を見極めて行くことです。僕のように理想を持ってるのもいいですが、どこまで理想といまの現実に差があるのかを把握して、日々の生活に行動を落とし込む必要があります。
例としては、英語話せるようになりたいという理想がありながら、実際は日本人シェアハウスに住み、日本人と休日を過ごし、職場も日本人と。これでは目的が達成されることはないでしょう。
また、ローカルジョブをゲットする戦略として、オーストラリアのカレンダーを把握し、どのシーズンがホリデーシーズンで人が入れ替わる時期なのか、忙しい時期なのかを調べ、
その1ヶ月前とかに飛び込みでひたすら履歴書を配り、その1ヶ月で仕事を覚え、いざ忙しい時期になったらしっかり使える存在になることです。
僕はローカルジョブをゲットしてからは、本当に日本語を使う機会がどんどん少なっていき、
仕事のために家でひたすら英語を話し、プライベートのために職場でネイティブに英語を教えてもらう、その2つのサイクルをうまく使いこなしながら、自分の理想の英語力に近づこうと努力しました。
それは2年間ずっと続けてきたルールで、最終的に日本人の友達は手で数えられるほどしかできませんでした。(良いのか悪いのかはその人次第ですが)
アジア人0のファームを見つけ、3ヶ月日本語を話さず感動した
ワーホリ当初、僕はゴールドコーストに7ヶ月間いて当初は1年で帰る予定でした。ただ、英語なんて1年で身につけるなんて不可能!毛が生えたレベルで帰って何ができるんだ?と思い、ファームへ行ってセカンドビザを取りに行きました。
ネットの情報を無視し、自力で車を運転し、韓国人の友達からもらった少しの情報を頼りに、スーパーが一軒しかなく、wifiすらないど田舎でファーム生活を始めました。
幸運にも街へついた初日に仕事も見つかり、紆余曲折ありながらアジア人0オールヨーロピアンの環境に飛び込むことができました。
まさにそこは僕にとって天国、本場イングランド、オーストラリアのネイティブスピーカーを始め、
フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーの若者が集まってど田舎でテント暮らしや車で寝てたり、毎日がキャンプの日々だったのです。
アジア人とは感覚が違うから、酒の飲み方もすごいし、音楽ガンガン、常にヨーロピアンの目線で色々なことを見ることができました。
部屋に夜な夜な入ってくる子ネズミを横目に友達と映画を観たり、仕事中に木の上にデカイニシキヘビが出たり、カンガルーに朝夕挨拶したり、手漕ぎボートに乗って手作りの釣竿使って魚を釣ったり、どんどん自分が自然と同化していく、そんな日々を送ることができました。
僕のファーム生活はぴったり4ヶ月間で、その内最後の3ヶ月間は日本語を全く使わない生活をしていて、久々にスーパーで日本語が聞こえると、1人で感動しちゃうくらい変態でした笑
人種は違うけど、同じ人間、対等な目線に立つ勇気が大事
2年目はケアンズでワーホリ生活をスタートし、一年目同様にルールを自分に課し、毎日英語漬けの日々を送り、ワーキングホリデーは終了しました。
この2年間、たくさんの人と出会って、いま思うことは、
日本人には自信がないが故に、ナメられがちな部分があるということです。
英語が話せないことで有名な日本人、それは僕らも知っていることで、だからうまくコミュニケーションも取れないし、仕事も中々ハード、
いくら綺麗好きでしっかり仕事する日本人でも英会話能力が低ければ評価は低いでしょう。
だからどんどん自信を失い、ネガティブになり、結果日本人コミュニティーに属することを求めてしまうのです。
僕が言えることは、
「英語はただの言語、話せなくてもそれは人間性には関係ないこと」
「姿勢を正して、目の前にいる人と対等に接することを意識する」
これだけです。アジア人は特に目上の人を敬う精神があり、敬語は必須です。
英語にも敬語はありますが、基本的にどんな相手でも対等に話せるのが僕にとってはすごい魅力的でした。
どこか友達感覚というか、フランクに接することができるのです。
タイトルにあるように、ワーホリをする人たちは、世界と戦っていかなければなりません。
戦う意識がないにしろ、仕事でも何でもみんなその残されたイスが欲しくて必死なのです。
そうなった時に、”英語が話せない?自信ない?どうぞどうぞ?”
これでは負けてばかりになってしまいます。
もちろん勝ち負けではないのは分かります。
ただ、僕が2年間のワーホリで少なくともこういった戦いに勝って負けてを繰り返した結果、
英語を話せるようになり、外国人と対等に会話ができ、ワーホリ行く前に持った目的を全て達成できることができました。
まとめ
簡単に僕の2年間の流れを説明していきました。
何を目的にするかはその人によって違うし、中には本当にただのホリデーの人もいると思います。
ただ、ほとんどの人は何かしら目的を持ってワーホリをしに来たと思います。
僕が日本語しか話せなかった頃から、何を考え、どう行動し、その結果何を得たかを分かっていただけたかと思います。
英会話に特化するために犠牲にしてきたことは数多くあるし、常に目的を果たすために何かを捨ててきました。
そうやってやらないと僕はその”イス”をゲットすることができないと思ったからです。
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